暑い。
8月になった。
日本海を横目に、海岸線を縫うように走る。
点在する海水浴場はたくさんの車と人で埋まっていて、生活が制限されているとは思えないほど賑わっていた。
なんだかどこにいっても人が多い。
夏休みだからなのか、五輪開催を免罪符(?)に浮かれているのか。
夜中、友達の家で(睡眠を妨害するように)流れるラジオ。
箭内道彦さんの「ラジオ風とロック」で、オンラインイベントの可否が話題になっていた。
箭内さんは人が集まることで生まれる熱量の素晴らしさを前提にしながらも、イベントという場を含めた、「人と会う」ことのオルタナティブなあり方を、極めて冷静に話しているのが印象的だった。
それに対して、もう一人の話し相手の人は、久々にライブに足を運んで「これだよこれ!」と忘れていた感覚を再認識して感動した、と興奮気味に語っていた。
正直私は、自分も久々にライブに行けば同じ心持ちになるんだろうけど、それとイベントのこれからのあり方は同列に語れる話ではないだろ、と思った。
そしてその興奮を、やはりかくあるべき!と言わんばかりに推進するような物言いをするものだから、強い違和感を覚えてしまった。
それを制止するように、リアルで会うことだけが「人と会う」のではなくなっていることや、配信ライブ(イベント)の意義、そしてアーティストはどんな形であれ「活動」を続けなければそこで終わってしまうことを箭内さんが話してくれたので、私はこんな当たり前のことを言わなければいけないのかと思いながらも、胸を撫で下ろしたのであった。
でもさっきも言ったように、「感覚を取り戻す感覚」というのは本当に理解できるし、その時が来たら、自分もそうなるだろうな、と思う。
「人に会う」ことや「人と過ごす」こともそうだ。
私の場合は、プライベートではたった一人の友達に2、3ヶ月に1回会う以外に、誰かと同じ時間を過ごすことはない。
それによって孤独感(私は「相対的な孤独」と呼んでいる)を覚えることは少なくなったし、むしろ一人で気ままに過ごせる方が性に合うとすら感じるようになった。
そんな具合なので、友達の家に泊まるとか、長時間人と一緒にいると、どうしても疲れてしまって、一人になりたいという気持ちを隠せなくなり、最後まで楽しめない自分がいる。
3年くらい前までは、相対的な孤独に苛まれていて、人に会えないとかなり不安になっていた。
それが精神状態にも影響していたので、環境は人を変えるものだなと改めて思うのだが。
とはいえ、良くも悪くも人と過ごす時間を最後まで楽しんでいたことには変わりないわけで、そう考えると、一人に慣れすぎたことで、「人と過ごす」ことを楽しむ感覚を忘れてしまっているのでは、と思わされる。
正直、それをちゃんと取り戻す必要があるのかどうか、今はよくわからない。
今はただ、自分なりのオルタナティブな過ごし方(孤独でいること)をどんどん実践して、自分を喜ばせる方法を色んな角度から作っていきたい、ということばかり考えている。