Uncertainty

わかったようでわからないことを書いています。

映し出されていたもの

10/22(金)、

 

植田真梨恵さんが9月から回っていた「会いに来たよツアー」が、

大阪味園ユニバースにてファイナルを迎え、幕を閉じた。

 

私は10/2(土)新潟ジョイアミーア公演にて、植田さんにお会いすることができました。

本当にありがとうございました。

 

 

植田さんの生の歌に初めて触れてから2年。

 

歌とアコギによる表現というのは、嘘も飾りもすぐに見え透いてしまうくらいに、削ぎ落とされた方法。

 

それに植田さんの飾らないキャラクターが重なることで、とっても実直で安心できるなあ、とその音楽に触れる度に思う。

 

出会いたての頃は、よくわからないなあと思う曲の方が多かったけど、

植田さんのアーティストとして、そして1人の人間としての断片を目にするにつれ、

楽曲への理解が深まって、今ではほとんどが好きな曲に変わった。

 

今までたくさんの音楽に出会い助けられてきたけれど、植田さんの曲は、自分のその時々の気持ちや、心の形そのものに驚くくらいぴったりフィットする。

そんな音楽は、植田さんの曲以外に知らない。

 

 

学生の頃なんて、「10のこと」を耳にして自分には無縁だなあって思ってたのに。

 

 

どうしてそんなに植田さんの音楽には魅力があるのだろう。

 

ついこないだまでは、

音楽とは人であり、植田真梨恵という人自身が魅力的であるゆえなのだと思っていた。

 

 

でも最近、薄々感じていた。

植田さんの音楽の魅力と植田さんご自身が魅力的であることは別の話であって、

単に、私が植田さんに自分自身を重ねているだけなのだ。

 

植田さんには失礼だけど、

音楽表現とは裏腹に、気持ちや考えを話して伝える上での不器用さとか、気持ちの込め方や気持ちがこもるポイントとか、

 

植田さんを見ていると、自分と同じところがいくつもあって、なんだか勝手に居心地が良くなっている。

だから、この人の表現に魅力を感じるのだ。

 

そういうことが、今日、ツアーファイナルのアーカイブを観て確信に変わったのだった。

 

 

「自分の世界を一生懸命舵とって進んでいくことって大事ですけど、まあそんなに気張らずに、いきましょう」

と植田さんは耳の後ろを掻きながら言って、「ペースト」を歌った。

 

世界は常に変わり続けていて、

その流れの早さを気にしていると、心も一緒に流されてしまいそうになったりする。

 

でも自分にできることは決まっているし、できてないことや足りないものを並べて焦っても何にもならない。

 

社会において人間にはライフステージやサイクルがあると言われているけど、

それは理解したうえでやっぱり、

誰の人生も、誰の人生とも比べられないなあと思う。

 

私自身も、誰とも比べようがないところまで来ている。

 

自分がどうしたいのか、どうありたいのか

その声と感覚を常に大切にしながら

ちゃんと自分の歩幅で歩いて良いんだよ

 

そういう思いでいて良いんだよねって

安心することができた、植田さんの千秋楽だった。

 

植田さん、12ヶ所24公演お疲れ様でした。

「それぞれの日々で、また会いましょう。」