Uncertainty

わかったようでわからないことを書いています。

あいまいな心

半年ぶりのブログとなってしまった。

年始に色々書こうと思っていたのだけど、そんな余裕もなくなってしまい、今日に至る。

 

来月で折り返しかと思うと同時に、いろんなことがあったな、と振り返る。

特に、去年から始めたマッチングアプリはその大きな割合を占める。

 

10月くらいに始めてから実際に会ったのは2人だけなんだけど、

やってみてまず思うのは、会うまでに至るのがとても難しい。

 

実際に会うまでには次の4つのステップがある。

①マッチング

②メッセージのやり取り

③会う流れになる、LINE交換

④会う約束と当日までのメッセージ

 

このそれぞれのステップにおいて、まずお互いに合う合わないが見えてくるので、

自然と数が絞られていく。

さらに、一つでもミスをすると連絡が来なくなってしまうので、それによっても

数が減っていく。

そうすると、最終的に会うまでに至る人数というのはかなり限られてくる。

 

これが普通の人だったらもっと幅が広いのかもしれないが、

自分の場合は会わずして相当な絞り込みがされることとなる。

 

 

結果的に、実際に会った2人目の人とはその後も定期的に会うようになって、

付き合うことになったけど、ひと月で縁が切れた。

 

性格は自分とは正反対だったけど、価値観に近しいものがあったのだと思う。

今までになく一緒にいる時間が楽しくて、人と話すのってこんなに楽しいんだ!

と思うほどだった。

 

同時に、引っかかるところや疑問に思うところも同じ数だけあって、それを

どう受け止めたら良いのかとても悩んだ。

それは相手の欠点とかいうものではなくて、価値観が重ならない部分の話だ。

 

俺にとって自分の心の内をかき消すことは何の造作もないことなのだけど、

そんなことを積み重ねているうちに、ふと鏡に映った自分が見ていられなくなった。

 

それが終わりの始まりだった。

 

人を好きになるとかいうことはとても曖昧で、だからこそ楽しく面白いのだけど、

そのことに拘泥したり、はたまた自問するようなことがあっては本末転倒である。

 

ものすごく刺さるものがあれば別だけど、よほどのことがない限り、

そんな簡単に人を好きになるなんてことは、本当はできない。

 

好きになるその感情の発露があったのは嘘ではないけど、

それが確かなものになるまでにもっと時間が必要だった。

それなのに、「これが好きということなんだ」と自分で自分に思わせるようなこともあった。

そこまで焦る理由もないのに。

 

その関係性に固執しすぎると、これで良いのか?という疑問が生じてきて、気持ち悪く感じることはある。

つまりまだ十分に気持ちが醸成されていなかったということだろう。

 

 

逆に言えば、出会って半年、会った時間は5日間。

そんな簡単に理解されてたまるか、とも思う。

 

そもそも、相手は理解する気があったのだろうか。なんて思うことも多かった。

 

正直、無理に付き合うなんてしないで、もう少し友達のままいた方が、

もっと仲良くなれたんじゃないかと思ったりもした。

 

いずれにしろ、相手に合わせるだけの関係性はもう御免だ。

 

半年という時間もまた振り出しに戻ったけど、まあそれも悪くないだろう。

目の前に起きた一つのことだけがすべてではない。

 

終わりは新たな始まりを意味する。

そこには時間的な断絶があるようで、遠目で見ると実はすべてが地続きになっている。

 

そんなわかったようなわからないような混沌に身を置きながら、今日も、

どこの誰とも知らぬ人たちとのコミュニケーションに磨きをかけていくのである。