2021年10月2日(土)
植田真梨恵「たったひとりのワンマンライブvol.4 会いにきたよツアー」@新潟ジョイアミーア
2年越しに会えるという胸の高鳴りを、3ヶ月間抱き続け、ようやく迎えられたこの日。
実質の二部制で、昼はファンクラブイベント、夜が本チャンのライブ。
まずは、昼のファンクラブイベント「箱庭の集い」。
対話や接触はできないながらも、植田さんとハコニワーが交流を深める会。
「質問コーナー」に始まり、「あの一曲」、「レルヒ似顔絵争奪戦」、そしてリクエストライブという編成。
ファンクラブイベントなんてものが初めてすぎて一体何をやるんだろうと、ずーっと緊張していた。
質問コーナーは、予め募った質問に植田さんかランダムに答えていく形式で、5人くらいが質問を読まれたのだが
最後の一人で自分の名字が呼ばれ、しかも男性の方とまで言われてびっくりした。
正直、アットホームなイベントの雰囲気に合わない重めの質問を送っていたので「マジか〜」と思いながらも手を挙げて、質問を読んでもらったのだけど、
全然自分がした覚えのない質問で、「なんだこの質問〜?!」となった(なんかふしぎな質問だった)。
同じ名字の別の人が送った質問だと伝えたかったけど、言いづらかったし、声を出せないのもあって、なんかふしぎな質問をした人になってしまったのであった。
まあおこぼれ的に植田さんと直でやり取りできたから、良かったのかな。
リクエストライブでは、自分が絶対に聴きたいとリクエストしていた「クリア」をやってくれたし、出会った日に歌っていた「灯」もやってくれた。
泣きました。隣の人も泣いてた。
聴けて嬉しかった。
そして、18時から本チャンのライブ。
なんと最前真ん中よりの座席。
完全に目の前だった。
SEとともに登場した植田さんは、昼とは打って変わって、近寄りがたい雰囲気を放っていた。
ゴシックな雰囲気のワンピースに身を包んだ植田さんは鋭い眼光で、異様な気迫だった。
目線が近づくたびに、飲み込まれてしまいそうになるくらい、強烈な緊張感があった。
最前というのは本当にすごいポジションで、植田さんの目線も表情も、細かな身体の動き、些細なニュアンスまで、すべてを目の当たりにできた。
表現というものがここまで濃密に伝わる距離感があることを初めて知った。
とにかく目にする表現の情報量が多すぎて、曲が頭に入ってこなくなりそうになるという、今まで味わったことのない感覚に包まれた。
あの気迫といい、4曲目で切れた4弦といい、植田さんはかなり緊張していたのではないかなと思う。
そういうのが全部ダイレクトに伝わってくる距離感。
聴きたい曲は山ほどあったけど、「ザクロの実」「勿忘に口づけ」「支配者」が聴けてよかった。
音源化されていない「シグナルはノー」「BABY BABY BABY」の2曲も、生で聴けたのが本当に嬉しかった。
初めてフルで聴いたけど、とんでもなく良い曲だった。メロだけじゃなく、言葉だけじゃなく、その両方がカッチリはまっている歌で、そういう歌は心に直接沁みてくる。
音源化されるのが本当に待ち遠しい。
聴けると思ってなかったのは、「プリーズプリーズ」「泣いてない」。
これも聴けて嬉しかったー。
そして、「心と体」。
やっぱりこの人はすごいな、と改めて思った。
歌が、ライブが、本当にむき出しの、ありのままの「人間」そのものだった。
今までそれなりにライブは観てきたつもりだけど、こんなに両手から溢るほどたくさんのものをもらえるライブはどれだけあっただろう。
箱庭の集いでは泣いたけど、本チャンのライブでは泣かなかった。
もらうものが多すぎて、それどころか、終演後は心も体も、つかえていたものが取れたようにスッキリしていた。
ライブ中、何度も植田さんと目が合った。
そんなものは目が合った気がするだけのライブあるあるなんだけども、
最初はすんごくドキッとして逸らしてしまいそうになったりしたけど、だんだん落ち着いて目を合わせられるようになった。
目と目を通じて伝わるものがたくさんあって、それを感じられたのが嬉しかった。
普通に気持ち悪いな。
しかしながら、ライブでこんな風にコミュニケーションを取ることができるんだ、という発見がそこにはあった。
正直、先行きの見えない状況下でライブをやることについて、もう割り切ってぜんぶオンラインに切り替えていった方が良いのでは?なんて考えていたりしたのだけど、
非言語のやり取りや、雰囲気や様子、身体の動き、些細なニュアンスとか、そういう要素を一体オンラインで伝えられようか?
当然ながら、やはり対面がすべてだ!なんてことを言いたいのではないが、どうがんばっても替えのきかない要素が、ライブにはある。
そんなことを考えさせられたライブだった。
植田さんのことがますます好きになってしまった、と思いながら
安心してまた会いたい、なんて思いながら
帰路へつくべく東堀通をひとり歩いた。