Uncertainty

わかったようでわからないことを書いています。

アイスタンドアローン

ここ1、2週間くらい、全く寝付けない夜が続いている。

単純にエネルギーがあり余っているのもあるし、色々なことが頭を渦巻いたり、身体的な感覚が敏感になったりするのもある。

 

寝る前に何も考えないことなんてない、なんて言う人もいるけど、俺はそれをしたくなかったし、そうならないようにしていた。

それは単純に睡眠の質が落ちて心身によくないし、そんな時に考えることなどロクでもないことが多いからだ。

だからそんなことを言う人は、「はいはい敏感で繊細な人なんですね〜」と心の中では少し軽蔑していた。

 

でも今、全く眠ることができない。

だからこうして、タブレットを開いて文字を打ち込んでいるのだ。

 

今まであまりなかったことだなあと思いながら、生活リズムを整えたい気持ちとぶつかり合って、なんともじれったい。

複数の異なる感情が同じ瞬間に同居し胸の内に混沌をもたらすことは、社会を生きていればよく起こる。

 

そんなことを考えていたら、この2022年という1年も今まであまりなかったことが色々とあったなあと頭の中で回想が始まった。

 

ここ数年の年末は、くる年をどんな1年にしていくのかを決めて、新年を迎えるようにしている。

 

2022年の方針は、「曝け出す」ことだった。

さらに、その柱となる指針に、「背水の陣」「自分が自分を認めている、それ以上のことはないこと」「自己融和」の3つを掲げていた(一人でひっそりと)。

 

実際、今年あったことを振り返れば、

1年の半分以上はキャリコン取得に費やしていたことが一番大きなウェイトを占める。

合格して9月に正式に資格取得が完了して、その翌月には退職届を出し、有給消化を満喫しながら転職活動をして希望の未経験業種の内定をいただき、今日に至る。

 

年齢的に未経験転職は今が最後だと思っていたから、文字通り背水の陣だった。

資格取得の過程もたくさん脇汗をかきながら、とにかく何かを身に付けたくて夢中になっていたし、その成果や体験が自分の自信に変わっていったことが何より重要なことだった。

資格取得で身につけたことを実務で活用することで、自分で自分のスキルを実感することができた。

これが、自分で自分を認めること、そして自分自身のキャリア転換への大きな足がかりとなったように思う。

 

この経験から自分のキャリアの方向が具体性を帯びたことで、ずっと思い悩んでいた自分の何たるかに一つのしるしをつけることができる。

 

 

しかしその間には、自分自身の存在を問い直すような時期もあった。

2021年に始めたマッチングアプリで出会った方との関係が2022年に入ってからも続いていた。

過去にも書いたが、その人といる時は本当に楽しくて、人と話すのってこんなに楽しいんだ!と心から思っていた。

でも、自分が抱いてる気持ちが恋愛感情としてのものなのか、この先どうなりたいのかが自分でもよくわからなくて、しかしうやむやのままにするのも良くないし、と悩む日々が続いた。

どういう「好き」なのかよくわからないまま告白してそうなったはいいが、結局ぎこちなくなって関係は途絶えた。

 

失恋とか落ち込むとか言うより、俺が放り出されたのは、自分で自分がどう思っているかもわからない、自分って一体何なんだろう、という虚無の世界だった。

今まで好きで聴いてきた音楽も、これ本当に好きなんだっけ?と感じてしまうほどだった。

4ヶ月間の資格の養成講座がちょうど終わって気が抜けたタイミングでもあり、当然勉強する気にもなれなかった。

 

それから数ヶ月後にまたアプリをやってみたりしたけど、まあ流石に心がすり減りすぎてやめてしまい、当分そういうのはいいな、というモードに突入した。

 

ただ、そうなってからは本当に縛られるものもなく、ラーメンを今までにない頻度で食べ回ったり、今年は行く機会がないと思っていたライブにもなんだかんだ行けて、大好きなアーティストが増えたりしたし、夢のクレヨン王国の世界にもどっぷりと浸かったりした。

会社の行動制限が緩和されて、ずっと会えてなかった人たちも会えた。今自分が何をしていてどんなことを考えているのかをちゃんと伝えることができた。

俺が会えて嬉しかっただけでも胸がいっぱいなのに、あの時と変わらない様子で安心させてくれたり、昔話に花を咲かせたり、手厚く出迎えてくれたり、これからのことで背中を押してくれたりして、大袈裟かもしれないが、俺は本当に生きていていいんだ、生きていて良かった、と心から思ったし、そういう思いにさせてくれる人たちの存在に本当に感謝で頭が上がらない思いだった。

 

そうやって自分の今を伝えられたのは、唯一の近くにいる友達のおかげもある。それで、信頼している人には自分の話を自分からするようになった。寂しいことにその友達はついに東京に異動になってしまったけど、実際離れても驚くくらい変わらないので、これが友達なんだよなと思ったりする。

 

 

俺は自分の足で立って歩くことができなければ、自分の人生に意味はないと思って生きてきた。

でも、色んな人を傷つけ、傷つけられ、周りの人に支えられなければ、自分の足でちゃんと立っているんだと実感することはできない。

自分自身に向き合い認めていく過程を踏みながら、自律して自立することの意味を、足の裏の感触で直に思い知らされた、そんな1年だった。

 

2023年の方針はもうすでに決まっている。

決まるというか、見えるものである。

その見える道筋へと、己の足で一つひとつ踏み締めて、新たな1年を越えていく。