梅雨。
道端のあじさいが色鮮やかで、運転しながら一瞬目を奪われる、そんな季節。
晴天も気持ち良いけど、私にとっては空がぐずついてる方が好都合だったりする。
最近、車で海や大きめの公園に繰り出しては、エンジンを止めた車中でじっくり音楽を聴いたり、本を読んだりしているから。
窓を開けておくだけで、ひんやりとして澄んだ風を感じられるし、周囲を気にすることなく、自分の時間を過ごすことができる。
自宅に引きこもって同じことをするより、だいぶ調子が良い。
今年に入ってから専ら、植田真梨恵さんと90‘s〜early 00‘sニュースクールハードコア、エッジメタルを聴いている。
今日という今日もAbsone(🇮🇹)やFragment(🇺🇸, MA)などを聴いていたのだけども、昨日SCANDAL MANIA会報誌が届いたので、久々にちゃんとSCANDALを聴きたいなあと思っていた。
Absone
Fragment
(KsE初代Vo. Howard Jonesがコラボしてるやつ)
車中で本を読みながら、(全アルバム、全曲好きだけど)一番好きなアルバム『HELLO WORLD』を久しぶりに聴いたら、なんか、新譜チェック程度でちゃんと向き合っていなかったからか、久々すぎて泣きそうになってしまった。
ああ、帰る場所があるってこういうことなんだね…!っていう意味で(大袈裟)(でも本当)。
それで、聴いてたらボーカルの声の響きがすごく耳に刺さることに気づいて、よくよく聴いたらHARUNAとTOMOMIのユニゾンがめちゃくちゃ綺麗に響いてて、ゾワーッと鳥肌が立った。
SCANDALはHARUNAとTOMOMIがユニゾンしてMAMIがハモるのが定石だけども、よく聴くと特にサウンドが大きく変わった『STANDARD』以降でこのユニゾンの響きがより綺麗になっている。
同じメロを歌っているのに、声質で層ができている感じというか、その重なりが半端なく美しい。
いや、すごいよこのバンド。
SCANDALを聴きながら、その素晴らしさを再確認するとともに、SCANDALと自分の関係を改めて思い返していた。
私にとってSCANDALは音楽やバンドの素晴らしさを知るきっかけとなった存在で、出会ってから12年、今なお青春を彩り続けている最も大切なバンド。
どの音楽やバンドよりも数多くの瞬間に寄り添ってくれていたのはSCANDALであり、この関係性は他の誰も規定することはできないと思ってきたし、今でもそう思っている。
ただ、ここ数年で色んなことがあって、いつかSCANDAL(だけではないけど)を聴けなくなる、聴かなくなるのかな、とほんの一瞬だけ思ったこともあった。
でも結局それはすぐ杞憂となった。
答えはごくシンプルなことで、自分がなぜSCANDALをずっと好きでいるのか、ということである。
もちろん、彼女たちの音楽が好きであるのはそうなのだが、単なる音だけでなく、人間性やアティテュード、これまでの歩みと葛藤…SCANDALというバンドを形づくるそのすべてを、彼女たちの音楽は内包し、かつ表現している。
まさに彼女たちの音楽は彼女たち自身、つまり「人」であり、そのすべてをひっくるめて、SCANDALというバンドが好きなのだ。
曲が寄り添ってくれたり他者と分かち合ったりした瞬間とか、それは言わば思い出、記憶であり、あくまで自分がSCANDALを好きでいたから生まれた体験に過ぎない。つまり、自分がSCANDALを好きでいる、あるいは好きでなくなる、聴かなくなる理由とは異なる次元の話ということになる。
ここにあるのは、私にとってのバンドという(一方的な)二者間の関係であり、第三者は登場の余地もない。
例えばそのバンドを紹介してくれた人や、その音楽を何らかの形で共有した人など、「私ーバンド」の関係の歴史に関わる人たちが存在する。そういった人たちは、私とそのバンドの関係を決定づける上では何ら決定権を有しないのである。
したがって、そういった関係者と自分の関係に関わらず、自分が心から好きになった音楽はずっと聴き続けるし、逆にそういった人との関係が聴き続けることに影響するとしたら、それは私がその音楽を心から好きではないということになるだろう。
「音楽は人」だから。私と音楽、その二者の間の話なのだから。
なんてことを、改めて思ったのでした。
つまるところ、SCANDALが常に自分の真ん中にあるって話ですね。
あいも変わらず。